
My Story
~My Learning Journey with Ms. Kazuko Enda~
私が英語 LAB に参加したのは、ご存じのとおり昨年のオンライン英訳講座がきっかけですが、それまで数年間、遠田先生のクラス受講を検討していました。ただ、コロナのためすべ てオンライン形式で、永野さんと同じく対面派の私は、ずっと対面形式の講座が始まるの を待っていました。 でも、待ち続けていては時間がもったいないと思い、仕事量が少なく時間に余裕があった 昨年の 6 月~8 月に、オンライン講座を受講することにしたのです。遠田先生の授業内 容は期待通り素晴らしいものでしたが、それだけでなく、同じく翻訳を仕事にしている方々 と出会えたことがとても嬉しかったです。 これまで様々な職場で翻訳者として働いてきましたが、ほとんどの場合、部内に翻訳者は 私一人、チェックやレビューをしてくれる方もいない状態でしたので、翻訳学校の講座という 枠を超えて英語 LAB というコミュニティに加わることができたのは本当に幸運だと思ってい ます。 今後もなるべく多くのイベントや講座に参加したいと思っています。どうぞよろしくお願いいた します。 Newsletter #6
「スピーキングはネイティブレベルなのに、ライティングは間違いだらけじゃん?」 20年前、私が勤めていたのは、帰国子女が大勢いる外資系IT企業でした。しかし、そんな彼らでも英語のメールやレポートを見ると、スペルミスや文法ミスが散見されました。そのとき、「ライティングなら彼らに勝てるかもしれない」と思ったことが、本格的に学び始めるきっかけでした。 そんな中で出会ったのが、遠田先生の英文ライティング講座です。ごく少人数のクラスで、今思うととても贅沢な環境でした(笑)。言語の効率性を重視し、とにかく簡潔さを追求するスタイルに、大きな衝撃を受けたのを覚えています。 スキルアップを続け、いつかは日英翻訳だけで生計を立てられればと思っていました。ただ、当時すでにTQE(サンフレアの検定)には合格していたものの、特に仕事の依頼があるわけでもなく、翻訳仲間もいませんでした。今後どのように独立していけばよいのか、悩んでいました。 先生に相談したところ、「今度、翻訳者のオフ会があるみたいだから参加してみたら? 私は参加しないけど(笑)」と勧められ、顔見知りのいない飲み会に一人で参加することにしました。 参加者のほとんどはプロの翻訳者で、自分のような駆け出しは相手にされないのではないかと思っていました。しかし実際には、皆さんがとても親身になって、自身の体験を踏まえながら、私の悩みや質問に答えてくれました。「TQEに合格したのなら、他のトライアルも受かるはず。もっとトライアルを受けてみたら?」「ボランティア翻訳をしてみたら?」など、さまざまなアドバイスを受けました。実際にそれらを実行した結果、その後のフリーランスとしての仕事につながっていきました。 先生には英語スキルの向上だけでなく、進路の相談にも乗っていただき、本当に感謝しかありません。 我々個人としてはライバル関係にありますが、このようにお互いに助け合い、共闘しながら、翻訳業界を一緒に盛り上げていければと思います。
Nao. Kさん
<知的刺激と解放感を求めて> 春に開催されたPowerPoint翻訳セミナー後のアンケート、1つ目の質問に、さすが永野さん!と思わずにんまり。 「本日の内容で、最も『実務に効く(アハ体験があった)』と感じたポイントはどこですか?」 「遠田の英語LAB」に皆が集まる理由がここに凝縮されている!そう、遠田先生の講座・セミナーは「受講」というより、まさに「アハ体験」する至福の時間なのです。文法のモヤモヤが解消し、長年の思い込みに気づかされ、凝り固まった脳が解きほぐされるのが気持ちよく、充実感に満たされます。 思い出すたびにしびれるのが、『フローチャートでわかる英語の冠詞』冒頭にもある、安部公房とリービ英雄のエピソード。英訳に際し、脚本に登場する名詞が単数か複数かたずねるリービ氏に、安部公房が「日本人にそんな区別はない」「自分で決めなさい」と言ったという。その後リービ氏はaもtheもsもない景色を新鮮な思いで眺めたようですが、授業でこの話を聞いたあと外に出かけた私は、見えるものも見えないものもaやtheやsで区別する人にこの景色はどうみえるのだろう、そもそも私はこの世界をどうみているのだろう、とクラクラする思いでした。(とはいえ、英訳作業中に「ここの説明にある『ネジ』は1本ですか、複数ですか」と技術者に質問して「そんな区別はない」という答えが返ってきたら怒りに震えることでしょう。) 遠田先生の講義では「実務に効く」を超え、このように固定観念を崩される体験をすることもあり、また対話しながらじっくり進める授業なので、他の受講生の英訳やその訳に至るまでの思考プロセスから学べるという刺激も得られます。 仕事では生成AIと協力しながら英訳を進める毎日ですが、AIにはよく騙されそうになるので信頼しすぎないように気を付けています。いつも一緒にいても表面上だけ仲良しのお友達のようなものかもしれません。やはり自分自身を信頼できるよう、もっともっと実力をつけていかなければと実感しています。そんな中、アハ体験でつながった仲間とワクワクしながら勉強できる機会は貴重です。英語LABを立ち上げてくださった遠田先生と永野さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
技術者の「難解」な日本語をわかりやすく英訳するのが楽しくて、今でも社内翻訳を続けています。 初めの頃、「字面通り訳さず意図をくみ取る」ことを重視して、内容を補足したり順番を入れ替えたり、時には省 略したりと、原文に忠実ではなくなることもありました。訳文には満足してもらえていたものの、社内に翻訳を客観 的に評価できる人がいなかったため、自分の訳が意訳なのか、それとも翻訳として妥当なのかが判断できずに悩ん だ時期がありました。 そんな時、2016 年の翻訳祭で遠田先生の講演を聞き衝撃を受けました。 訳をするときに大事なことは、内容を理解する=「意味を訳す」こと。読者が正しく意図を理解できるように 英訳している。 よく言われる、「翻訳するときには、何も足さない、引かない」は、英訳には当てはまらない、等価に変換さ れている以上、それは意訳ではない。 方向性は間違っていなかった! と確信し、この言葉に胸に翻訳を続けてきました。 いつか先生の授業を受けたいと思いながら機会がないまま、書籍などを頼りに勉強してきましたが、ネイティブでも 留学経験もない自分に限界を感じ、さらには機械翻訳や AI 翻訳の盛り上がりもあって意欲が落ちつつありまし た。ちょうどそんな時に X で「遠田の英訳 LAB」開催のお知らせを見つけたのです。即、申し込みました。 まさに運命のようなタイミングでの開催でした。 初回勉強会は感激の一日で、いてもたってもいられずその後すぐにオンライン講座を申し込みました。全 4 回の 対面講座は新たな気づきと感激の連続で、まだ道は遠いと感じながらも、自分なりの形で翻訳を続けていこうと 前向きになれました。また、翻訳が「面白い」と心から思えたことが何よりの喜びでした。 この勉強会に参加できたことを本当に嬉しく思います。これからの活動も楽しみにしています。 未来 (note🔗: note.com/merci39) Newsletter#7
ともころりん
<ベテラン!?でも実力なし> 私は日英翻訳者として、大手自動車メーカーの下請け企業の翻訳部門で、25年半働いておりました。ですが、実際翻訳をやっていた期間はそれほど長くないのです。 まず、翻訳の勉強をしないで入社した私は、基礎ができていなかったのですが、1年ほどでコーディネータの仕事を命じられました。そのうち、翻訳営業や管理の仕事も担当し、「自分で翻訳する」機会はあまり多くはありませんでした。 ですが、メーカーに出向していた私は、データベースで過去の資料を閲覧でき、外注先が納品した翻訳物をチェックしていたので、何となく人まねで翻訳ができていたのです。 気づけばベテランと言われるようになっていましたが、実力がないことは一番自分がわかっていることでした。 そんな時、翻訳者として再び「自分で翻訳する」ことと向き合うことになりました。「このままじゃまずい。この実力では翻訳をしているとは言えない。」と危機感を持ち、連絡を取らせていただいたのが、遠田和子先生だったのです。 <遠田先生との出会い> 遠田和子先生は、その当時、毎年出向先の自動車メーカーに講師としていらっしゃっていました。 その部署の同僚が、「本当にチャーミングな方で、しかも説明が的確で、とてもわかりやすい。」と言っていたのを思い出しました。 私も切羽詰まっていたのでしょう。遠田先生に直接メールをお送りして、「どこかで講座をされるのであれば、ぜひ参加させてください!」と直談判したのです(笑) 今考えるとすごい勇気でしたが、遠田先生も快諾してくださり、添削のご指導が始まりました。 <融通のきかない生徒> 私は、遠田先生が伝えたいと思っていらっしゃることの、その前の段階の文法や表現ですらわかっておりませんでした。 遠田先生の言葉が理解できず、自分の理屈で理解しようとし、的外れな質問もしました。 そんな面倒くさい生徒でしたが、遠田先生は、本当に根気強くご指導くださいました。感謝してもしきれないぐらいです。 その後も、遠田先生のセミナーにはなるべく参加しておりました。 そうしているうちに、遠田先生の言葉が少しずつ理解できるようになってきました。「わかってきた」実感を得られた時はとても嬉しかったです。 今は、英語という言語を学ぶ楽しさを感じております。皆様とも切磋琢磨しながら一緒に学んでいきたいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 ともころりん
私には翻訳に関して「目から鱗が落ちた」経験が2度あります。 1度目は小学校卒業後の春休み。卒業祝いにもらった英語の辞書。中学校の英語の授業で使ってねと言われたものの、勉強道具などもらっても嬉しくはなく… 当時、音楽が好きな両親が買い集めたレコード(年がばれる)の中に映画「メアリー・ポピンズ」のサントラ盤がありました。心躍る音楽に夢中にはなったものの、いかんせん歌詞は英語。歌詞カードを見ても歌の意味は全くわかりません。 そこでふと「あの辞書があれば何かわかるのかも」と、最初の曲「The Perfect Nanny」の歌詞に出てくる単語を辞書で調べてみたのです。12歳の私がどこまで意味を理解できたのかは謎ですが、「この辞書を使うと外国のことがわかるんだ!」とワクワクしたことは今でもはっきり覚えています。「翻訳」のまねごとをして、ただの知らない国の文字の羅列が物語に変わった、目から鱗の瞬間でした。 それからウン十年が過ぎ、現在の在住国にある企業で日々翻訳をしていますが、英日が主体で、日英は月に1度、日本人CEOから現地社員への訓示の翻訳のみ。自分で勉強はするものの実践の場がなく、技術の上達はおろか維持すらできないのではと不安でした。そんな時に受講したのが遠田先生の全6回の講座です。初回の講座は人生2度目の目から鱗の衝撃でした。それまでの自分の翻訳は「日本語が透けて見える英語」だったと痛感し、恥ずかしくなりました。でも遠田先生は打ち砕かれた自信を修復するための知識を2時間の授業の中で惜しみなく授けて下さり、それまでの何をどう努力すればいいのかわからない目の前のモヤモヤが消えていきました。2回目の講座の事前課題に取り組んだ時にはなんだか翻訳がやりやすくなった気すらしました。 学生時代は宿題なんて忌まわしいものでしかありませんでしたが、遠田先生が用意される課題にはワクワクしながら取組み、翌月の講座を首を長くして待ちわびました。時差の関係で講座が終わるのは深夜近かったのですが、それでも毎回「延長すればいいのに」と思ったものです。 メアリー・ポピンズの音楽に出会っていなければ、翻訳という仕事に興味を持っていなかっただろうし、遠田先生にお会いできていなかったら、自分の翻訳の未熟さに気づかぬまま危うい仕事をしていたかもしれません。この仕事に導いてくれたメアリー・ポピンズと上達の指針を下さった遠田先生には感謝してもしきれないのです。 私には翻訳に関して「目から鱗が落ちた」経験が2度あります。 1度目は小学校卒業後の春休み。卒業祝いにもらった英語の辞書。中学校の英語の授業で使ってねと言われたものの、勉強道具などもらっても嬉しくはなく… 当時、音楽が好きな両親が買い集めたレコード(年がばれる)の中に映画「メアリー・ポピンズ」のサントラ盤がありました。心躍る音楽に夢中にはなったものの、いかんせん歌詞は英語。歌詞カードを見ても歌の意味は全くわかりません。 そこでふと「あの辞書があれば何かわかるのかも」と、最初の曲「The Perfect Nanny」の歌詞に出てくる単語を辞書で調べてみたのです。12歳の私がどこまで意味を理解できたのかは謎ですが、「この辞書を使うと外国のことがわかるんだ!」とワクワクしたことは今でもはっきり覚えています。「翻訳」のまねごとをして、ただの知らない国の文字の羅列が物語に変わった、目から鱗の瞬間でした。 それからウン十年が過ぎ、現在の在住国にある企業で日々翻訳をしていますが、英日が主体で、日英は月に1度、日本人CEOから現地社員への訓示の翻訳のみ。自分で勉強はするものの実践の場がなく、技術の上達はおろか維持すらできないのではと不安でした。そんな時に受講したのが遠田先生の全6回の講座です。初回の講座は人生2度目の目から鱗の衝撃でした。それまでの自分の翻訳は「日本語が透けて見える英語」だったと痛感し、恥ずかしくなりました。でも遠田先生は打ち砕かれた自信を修復するための知識を2時間の授業の中で惜しみなく授けて下さり、それまでの何をどう努力すればいいのかわからない目の前のモヤモヤが消えていきました。2回目の講座の事前課題に取り組んだ時にはなんだか翻訳がやりやすくなった気すらしました。 学生時代は宿題なんて忌まわしいものでしかありませんでしたが、遠田先生が用意される課題にはワクワクしながら取組み、翌月の講座を首を長くして待ちわびました。時差の関係で講座が終わるのは深夜近かったのですが、それでも毎回「延長すればいいのに」と思ったものです。 メアリー・ポピンズの音楽に出会っていなければ、翻訳という仕事に興味を持っていなかっただろうし、遠田先生にお会いできていなかったら、自分の翻訳の未熟さに気づかぬまま危うい仕事をしていたかもしれません。この仕事に導いてくれたメアリー・ポピンズと上達の指針を下さった遠田先生には感謝してもしきれないのです。
あれから24年目。 2002年秋、私はある会社を辞めた後、IT分野の翻訳(特に日英翻訳)で生きていこうと決心しました。 そのための学び場として、サン・フレア アカデミーの遠田先生の通学講座を選びました。翻訳学校を選ぶ際は、特に英訳力を磨く以上、英語ネイティブ講師や訳文ネイティブチェックの有無が気になりました。これに対し同校は、「講師は全員日本人だが、英語ネイティブというだけでは指導できない。遠田和子先生は英訳に強いので、英訳中心に学習をお考えなら是非...」の由。別の候補校には英語ネイティブ講師がいましたが、なぜか遠田先生に賭けようと思ったのです。 受講直前に「授業の進め方の参考にしたい」という理由で先生から求められたアンケート回答を久々に読み返すと、ずいぶん気負った言葉が並んでいます。「買い手に喜んで頂けるレベルにまで自分の翻訳力を高め...」から「是非厳しく鍛えてやって下さい」のドMな一言まで(笑)。でも嘘はありません。何しろあの頃は背水の陣でしたし。 修了後は、2003年6月から翻訳会社で、2007年9月からフリーランスとして、そして2018年9月から現在まで派遣社員としてIT企業で、翻訳してきました。現ポジションでの翻訳はそれまでと異なりほぼ100%英訳なので、この道を歩み始めた頃を思うと原点回帰とも言えます。 最初に指南していただいたのが遠田先生でなかったら、ここまで長く翻訳を続けることはなかったかもしれません。その要因の一つは、先生の「明快な英語」に共感していることでしょう。(今回振り返って気づいたのですが、これまでの人生で「先生」と呼ぶべき方とのご縁が20年以上も続いているのは、遠田先生ただお一人です。) 昨今の時勢もあり、今の私は専業翻訳者と名乗れる者ではありません。それでも、今に至るまで(願わくは今後も末永く)遠田先生の謦咳に接しつつ、英語を、翻訳を、そして言葉を学び続けていられることを幸せに思います。
大学院をドロップアウトした後、入力オペレータや英語問題集の解説執筆などのアルバイトをしましたが、長時間労働に耐え兼ねて転職を考え派遣会社に登録しました。とにかく語学の知識を活かしたいと、何もわからないまま翻訳の仕事を希望し、「どの分野を?」と聞かれても答えられないような有様で、今思えば背筋が寒くなります。 幸い未経験者でも採用してくれたメーカーで、産業ロボットのマニュアルやパンフレットの日英翻訳を始めることができました。最初は日本語の意味すらわからない状態でしたが、この会社では、週1回、ネイティブのテクニカルライターが訪れて翻訳をチェックすることになっており、そこで技術英語の基本も教わることができました。恵まれていたと思います。ロボットの動く仕組みを徐々に理解し、ユーザーのフィードバックから改良型の新モデルが企画され、設計、製造されていく過程を目にするにつれ、翻訳を通じて自分の世界が大きく広がっていくのを感じました。 その後、一時期は金融分野のアシスタントも経験したのですが、やはり技術翻訳がやりたいと、ウェブ開発現場や空気圧部品メーカーなどでオンサイトの翻訳者として働きました。 昨年まで在籍していた外資のソフトウェア会社では、派遣の顔合わせのときに「こういうこと、やってるんですよ」と、英語から翻訳したぶ厚いマニュアルを見せてもらい、内容は難しそうでしたが日本語の文章がすばらしく、「いつかこんな翻訳ができるようになりたいものだ」と勤務を決めました。このマニュアル、後から聞いたところでは、有名な翻訳者が担当されたものだったそうです。ここでは英日翻訳が中心でしたが、たまに日英翻訳の依頼もありました。他部署の担当者が機械翻訳を使って英訳した「お客様の声」の修正を依頼されたときは、遠田先生の授業で教わったことを念頭にかなり大胆に書き換えたのですが、元の日本語の執筆者であるお客様からおほめの言葉をいただくことができました。今でもうれしい思い出です。 この会社では、約22年半働くことになりました。昨年、突然レイオフされ、最初にめざした理想の翻訳には遠いまま会社を去ることになりましたが、これからも翻訳者としての道のりは続きます。今後は、フリーランスとして英日と日英の両方の飜訳をやっていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
Echchさん
私が英語を真剣に学び始めたのは、当時の世間で言う「クリスマスケーキ」の年齢になってからでした。 終身雇用が当然だった時代、大学卒業後に転々としていた仕事でAppleのMacintoshに出会い、そのスキルで得た広告会社の仕事を通じて英語の必要性を痛感しました。思い立って語学留学したものの、帰国後もまともな職につけず日本社会に息苦しさを感じていた私は、サンフランシスコ ベイエリアの大学のExtensionでマーケティングを学びに再度渡米しました。在学中、Diplomaを取得すれば1年間就労可能なOptional Practical Training (OPT)ビザが得られ、その間にスポンサーが見つかれば永住権への道も開けることを知りました。なんとかOPT中にシリコンバレーのソフトウェア会社のスポンサーを得たものの、.COM景気で発行枠が早々に上限に達し、日本での半年待機を経てようやく就労にこぎつけました。そこでシリコンバレーの底辺のエンジニアの誕生です。2001年の同時多発テロによるビザ発行停止の煽りも受けながら、なんとか永住権を取得しました。「女は結婚すればいいんだから得」などと言われながらも、自分の能力だけで海外の職とビザスポンサーを得て永住権まで取ったことは私の自慢です。 こう書いてみると、若き日の自分の行き当たりばったりぶりに我ながら呆然とします。その後リーマンショックの煽りもあり、18年間のアメリカ生活に終止符を打ち2014年に帰国しました。帰国前には翻訳会社の通信講座を修了し在宅翻訳を始めるかたわら、IT特化のサンフレアの通信講座や、カレッジのプログラミングやEnglish Writingのクラスも受講していました。 帰国後数年は日本社会に戻る勇気が持てず、在宅翻訳を続けながら、海外では叶わなかった翻訳・通訳学校に通い始めました。通信講座でお世話になったサンフレアの当時の事務局長の勧めで遠田先生のデモ授業を受講。先生の経歴に私が滞米中に通ったカレッジの名前を見つけ、授業の合間にお話しすると同じ時期に歩いて行ける距離に住んでいたこともわかり、ご縁を感じて「英訳の基礎I」の受講を決めました。 授業を受けるうちに、在米生活でいっぱしのつもりでいながら単複や冠詞にまったく注意を向けていなかったことに気づくなど、目から鱗の連続でした。こうして私の「遠田先生追っかけ人生」が始まりました。 帰国後しばらくして在宅の仕事をもらっていた翻訳会社からの派遣で日英翻訳者として数か月勤務。その後本腰を入れての就職活動で分かったのは、ITの知識がある翻訳者より、英語もできるITエンジニアの方が稼げるということでした。シリコンバレー経験と英語力を売りに探したところ2週間でオファーを貰ったのが今の職場です。3カ月更新の個人事業主ながらもうすぐ9年になり、アメリカのパートナー会社と英語でまともに渡り合える唯一の存在として奮闘中です。バグレポートの翻訳等もしますが、説明不足や情報不足には容赦なく注文をつけ、元の日本語より技術的にも行き届いた、海外にも通じる英文ドキュメントを作成しているつもりです。おかげで「依頼者が理解してくれない」という悩みはほぼなく幸運だと思う一方、日本語についてはよく注意されています。 コロナ前、たまたま知ったOxford Press刊”Practical English Usage”の著者Michael Swan先生の講演会に遠田先生をお誘いしました。一緒に出席した日にちょうど先生の初孫がお生まれになったりと、英語以外でも楽しい思い出をいただいています。また、他の翻訳学校で「サンフレアの遠田先生の授業はいいよ」と生徒に口コミしてみたり(実際にその生徒さんと遠田先生のクラスで再会しました)、海外在住で日英翻訳者をしていた妹も引き込んだりと、地味に「遠田教」の布教に励んでおります。 AIの興隆で翻訳業界の今後については不透明な部分も多いですが、これからも先生に学びながら、このコミュニティの皆さんと共に学んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
このコミュニティに参加しているMember、それぞれのStoryです。遠田先生の「明快な英語」の理念に共鳴する仲間たちの歩みを、プロフィールと共にお楽しみください。(ニュースレターに掲載してきたStoryを集めたものです。)運営者&発起人、永野のStoryはこちら。
水野頼子さん